心と体の痛みのお部屋 管理人エリーの日記です。


by elly_mylove
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ザ・学級崩壊

昨日テレビを見ていたら、現役の先生たちがたくさん出てきて面白いバラエティがやっていた。
近頃の子供たちや、困った保護者。いまや当たり前になっている携帯電話との付き合い方など、先生たちの本音が聞けて面白かったのだけど、後半部分でいまや社会問題となっている学級崩壊をとりあげていて、教育再生機構のお役人さんと先生方のバトルとなってしまった。
主に小学校の現場で学級崩壊が起きているらしい。。。
教室から勝手にふらふら歩いたり、途中で紙飛行機を飛ばしたりしている生徒の様子が映し出されていて、うーん、すごいなあ・・・・と思ってみていたら、突然はっと思い当たった。

オーストラリアではどうだっただろうか。

学級崩壊は、なかった。

なぜなかったかというと、小学生の子供なんて、集中力がないのが当たり前。ほうっておいたらふらふらするのが当たり前という大前提にたって、クラスの人数から担任の数から、お母さんのボランティアから授業のやり方まで、トータルにまったく日本と違う教育が行われていたからなかったのであった。
もし日本のように、先生が黒板の前にたって、生徒は先生のいっていることをひたすら聞くという、ああいう一斉授業が行われたら、きっとあちらの子供たちは45分じっとしていることはできなかっただろう。

でも、それをあちらの人は学級崩壊とはきっといわなかっただろうと思う。



娘は日本の学校を2年で終えて、シドニーの学校にいったのだ。

わたしがあちらの学校でまず驚いたのは、授業の自由な雰囲気だった。

授業時間も受柔軟だし、10時の時間にはリセスといって、子供たちはお家からもってきたクッキーだの、果物だの、チョコだのというおやつを食べる時間まであるのだ。
それに、教科書は学校におきっぱなしになっているし、色鉛筆だのクレヨンだのは、クラスの真ん中にどっさり置いてあって、子供たちはそれを使えばいいので、あっちの学校には忘れ物という概念がぜんぜんなかった。
当然、たとえば色鉛筆が必要になった子供は、立ち上がってとりにいくことになるから、ふらふらとたっている子供は常にいる。先生も、まったく気にしない。
授業は・・。発言するときには一応手を上げるけれど、起立はせずにその場で自由にしゃべるし、机の上に胡坐を欠いたり、大体机のならびも黒板向きではなくて円座だったりと、のびのびしていた。天気のよい日は校庭の芝生に座り込んで、海を見ながら勉強していた。内容ももちろん、一斉に静かに講義を聴く。。という感じではなかったのだ。

日本に一時帰国した際に受け入れてもらって、娘は二週間ほど日本の学校に入学したことがあるのだけれど、そのときに本当に親子して驚いたのが理科の時間だった。
2酸化炭素を作る実験で、アルコールランプを使って物を燃やす。という課題で、先生が、何か燃やしたい物を持ってきなさい、と前の日に言ったにかかわらず、娘の班は娘以外に誰一人もってこなかったので、娘の持っていった枯れ葉だの、紙だの、鉛筆だのを燃やしていた。
ほかの班は、先生が用意したアイテムを黙々と燃やして、静かに実験していたのだった。

オーストラリアの学校だったら、小学校の授業であんな実験があろうものなら、全員が燃やしたいものをわんさか持ってきて、収集がつかなくなるに違いない。
大体、父兄のボランティアを募って監督に協力してもらわないことには、興奮した子供たちが大騒ぎして実験をやりたがって、絶対だれかが焼けどをしてしまう。

遠足でも、ちょっとした特別授業でも、わずか30人もいないようなクラスなのに、かならず父兄のボランティアが募られて、厳重にスーパーバイスされていた。
そうでないと、あちらの子供たちは自己主張が強くてのびのびしているから、先生ひとりでは統率できないのだ。

でも、この状態を、あちらでは誰も学級崩壊とはいわなかった。それが子供であると理解されていたので、クラスは30人以下。小学校の間は必ず副担任がつく。何かといえば父兄のボランティアでしかも習熟度別の授業・・・。
思い返せばあちらの子育ては日本よりよっぽど手がかかった。

けれども、反面、私の心の中では、理科の実験ともなればみなが燃やしたい物を持ち寄って蜂の巣をつついたような騒ぎになるに違いないあちらの子供たちの、そののびのびした明るさや、創造性、独創性、子供ながらはっきりとした自己主張があるところ。違った個性を受け入れるところなど、色とりどりのイメージの長所のほうが心に残っていて、むしろ、先生の指示のもと、もくもくとつまらなそうに実験をしていた日本の子供のほうが、ちょっと物足りない退屈な感じがしてしかたない。

番組に出ていたお役人さんが、授業の前には机をまっすぐにそろえて、一斉に筆箱や教科書の準備をして、先生の話をまっすぐ聞けなくてはいけない。それができないクラスは先生に実力がないのだ。。という発言をして、現役の先生がたから反発を買っていたのだけど、そんなことって必要だろうか。

一斉授業を全員が静かに羊のように聴けることが、そんなにすばらしいだろうか。

昔は学級崩壊などなかった。と教育再生機構のお役人さんたちはよくいわれるらしいのだけれど、その考え方は、たまに見る北朝鮮の子供たちの映像のなかの、あの一糸乱れぬ歌や踊りに通じるものがあるような気がして、落ち着かなかったのだった。

日本はやっぱり、子供時代から、社会の要求水準が高いなあ。

肩がこる国なのかもしれないなあ。としみじみ思った。
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by elly_mylove | 2006-11-08 13:26 | 日々のつぶやき