心と体の痛みのお部屋 管理人エリーの日記です。


by elly_mylove
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加茂先生との往復書簡   頚椎ヘルニアであることを祈っていた私

年が明けてから、加茂先生とのトラックバックで日記を書いています。

今回も少し亀レスなのですが、一月六日の「痛みとは」を読んで、8年前、怪我をして痛みがひどかったころの私の気持ちを書いてみようと思いました。





頚椎捻挫をきっかけに起きた私の痛みは、事故のあと数ヶ月たってからが一番つらい時期でした。
痛みそのものの強さは、やはり受傷から一月以内が一番ひどかったと記憶しているのですが、最初私はむしろしっかりしていて、痛みをそれほどの苦痛と感じていませんでした。
数ヶ月たってから、だんだん、24時間お休みなしに続く疼痛に、体力的にも衰えて、精神的にも憔悴しきって、なぜ治らないんだろう、このいやな痺れはどこから来るんだろう。。とまったくよくならない症状に混乱してきたのを覚えています。

痛みのメカ二ズムを考えるとき、痛みが長く続くにしたがって、抑制機能が利かなくなって、小さな痛みでも拡大されて脳に伝わるということをずっと後になって学んだのですが、今思い出すとまさにそんな感じがします。

けれども症状はひどくなっていったのに、そのころ通っていたお医者さんから、わたしは見放されつつありました。

最初のレントゲンで頚椎捻挫ということがわかったものの、痛みをとる治療は、シップとお決まりの牽引装置や低周波などしかなすすべをもたなかった地元のクリニックでは、通っても通っても不定愁訴が増える一方の私を、困り者のやっかいな患者として持て余していたのでした。

そんなある日、ますます異様な痛みとしびれに襲われた私は、きっと何かが起こったに違いないから、MRIを撮ってください、と整形で訴えます。
確かに症状がひどかったので、結果的にMRIは撮影されて、私は頚椎ヘルニアの確定診断を受けたのですが、その結果を待っていた私の心理は今思い出しても独特でした。

こんなに痛いのだから、何か異常が写っているに違いない。きっとヘルニアだろう。そうであって欲しい。大げさに痛みを騒ぎ立てている神経症患者のように扱われるのは沢山だ。とにかく、何か異常が写っていて欲しい。

病院の冷たい待合室の椅子に座りながら、私は、自分のMRIの画像に、医療関係者が見てもこれなら仕方ない、とみなが納得してくれる異常が写っている事を、一心に祈っていたんです。

事実めでたく異常が確認されて、望みどおり晴れて私はヘルニア患者になったわけですが、それでも実際に医師からMRIの画像を見せられて、ほらこのとおりヘルニアがありますね。痛みやしびれはそこからでしょうね。と膨らんだ椎間板を見せられたときには、「これで自分の体には、取り返しのつかない損傷が出来てしまったのだ。」とやはり一種の喪失感がありました。

あのころの、あの自分が病気である事を一心に願っていた特殊な心理状態を思い出すとき、怪我の大きさや種類と、痛みの大きさを比例させて考える事は間違っている。と心から思います。

痛みは構造の異常から来るものだ、と、それのみにとらわれて、必要のない手術をしてしまうこともとても危険なことだと思いますが、怪我の大きさがそれほど大きくなければ(たとえば頚椎捻挫で言えば、ヘルニアになっていなければ)痛くないはずだ、という捉え方も、患者の心と体をひどく追い詰めるものだと思うんです。

ずいぶん後のことですが。。

慢性の痛みについて、ある文献の一節を読んでいました。

「慢性疼痛の患者の治療は、周囲に痛みをわからせようとする痛み行動の減少に力点を置く。。。それには、オペラント行動療法によって、痛み行動をとらずに充実した一日を過ごせばほめてやるなどの条件付けがかかせない。。」との文章に、

「ほめてやるだの条件付けだの、この文章はいったいなんだろう。

私は、犬じゃない。」と

MRIの結果を待っていたあのころの私の、「信じて欲しい。」という悲しいまでの気持ちを思い出して、怒りに駆られたのを覚えています
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by elly_mylove | 2006-01-18 21:17 | 痛みについて